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聖歌は生歌

聖歌は生歌

三位一体

《A年》
 49 神の名は
【解説】
 今日の答唱詩編は、珍しく、詩編ではなく、ダニエル書の「補遺」から歌われます。ダニエル書は、いわゆる、《黙示
文学》の範疇に入り、キリスト教の『聖書』では預言書とされていますが、ユダヤ教の『聖書』では「諸書」の中に入り
ます。また、一部がアラム語で書かれていることも、特徴の一つでしょう。ダニエル書が書かれ、まとめられたのは紀
元前163年ごろの、シリア帝国のアンティオコス四世のユダヤ教迫害の終わりごろと考えれています。今日、歌わ
れる「ダニエル書補遺」は、ヘブライ語(アラマイ語)には原典はなく、《七十人訳》に含まれ、「アザルヤと三人の若者
の賛歌」と呼ばれています。ダニエル書の最大の特徴は、死者の復活と殉教による永遠のいのちが与えられるとい
う信仰です。
 答唱句の最初の一小節、「みの名はあ」では、八分音符が連続しますが、これが曲全体のテンポを決定する鍵とな
ります。「あまねく」(漢字で書くと「遍く」)では、旋律が6度跳躍しますが、神の名が時間と空間を超えて普遍的に世
界に輝くことを暗示します。ちなみに「名」とは、そのものの本質を表すもので、神ご自身そのものをさすことばです。
(日本語でも「名は体を表す」と言います。)また、これは、バスのオクターヴの跳躍でも表されています。
 「栄こうは」の旋律は最高音C(ド)と付点八分音符で、また、テノールの「う」の三拍目も最高音C(ド)に上がり、神
の栄光が天にそびえる様子が暗示されています。
 答唱句全体は四分音符+八分音符が連続し、さらに、臨時記号による半音階でこの動きに活気が与えられ、こと
ばが生かされます。
 詩編唱は最高音H(シ)から始まり、反復しながら下降してゆきますが、四分音符で表された反復部分のことばに
注意がゆくようになっています。最後は、旋律の最初の音D(レ)で終わり、祈りを答唱句に続けます。
【祈りの注意】
 解説にも書きましたが、最初の小節線の後の四分音符「かみ」の次の「の」をやや早めに歌い、「名はあ」の三つの
八分音符で、テンポに乗るようにします。八分の六拍子は八分音符六つを数えるのではなく、付点八分音符×二拍
子と考えて歌いましょう。旋律が6度跳躍する「あまねく」では、時間と空間を越えて、神の名=神の存在そのものが
世界に輝いている(現在形)ことを表すようにしましょう。胸を(声を)世界に広めるようにしますが、決して、罵声になら
ないようにしてください。
 「あまねく」の後で、人によっては息継ぎが必要になると思いますが、気持ちは、冒頭から「輝き」まで続けましょう。
「そのえいこうは」では、付点八分音符を利用して、次第に rit. し、「天に」で小戻しして、最後は、ていねいにおさめ
るようにしましょう。それによって、壮大な神の栄光が天にそびえる様子を表します。 特に、最後の答唱句は、たっぷ
りと rit. して、祈りもていねいにおさめるようにしましょう。
 解説にも書いたように、四分音符+八分音符、半音階進行、を生かして、祈りが流れるように、活き活きと歌ってく
ださい。冒頭から最後まで、気持ちは一息で続くようにすることが秘訣だと思います。
 第一朗読では、シナイ山における、再度の契約締結の場面が朗読されます。福音では、神が、ご自分のひとり子を
世に遣わしてくださるほど、世を愛されたことが、キリスト御自身によって語られます。人類の歴史を見ると、確かに、
人類は「頑なな民」ですが、それを見捨てることなく、神は、愛といつくしみを注いでくださっています。ダニエル書補
遺はその、神の愛といつくしみをたたえての祈りです。先唱者のかたは、ここで歌われる「現在形」が、今も、世々に
至るまで、確実に行われることであるとともに、まだ、それをしていない多くの人々にもそれが行われるという、願いも
込めて歌っていただきたいと思います。
【オルガン】
 答唱句の祈りを活き活きさせるには、オルガンの前奏は大変重要です。オルガンの前奏が、重い石を引きずるよう
になると、会衆の答唱句が活き活きとした祈りになるはずがありません。前奏は、会衆がなれるまで、やや、アップ
テンポ気味でもよいのではないでしょうか。解説に書いた三つの注意

拍子は八分音符6拍ではなく、付点四分音符×2で数える
最初の小節線の後の四分音符「かみ」の次の「の」をやや早めに弾き、「名はあ」の三つの八分音符で、テン
ポに乗るようにする
四分音符+八分音符、半音階進行、を生かして、祈りが流れるように、活き活きと弾く

ことをよく心がけましょう。オルガンが毎回このように前奏・伴奏をしてゆけば、会衆もだんだんとついてくるようになる
はずです。
 ストップは、やや、明るめのものがよいでしょうか。ただ、プリンチパル系の高いピッチ(4’や2’)は、逆に祈りを妨
げることもありますので、会衆の人数をよく考えて、組み合わせるようにしたいものです。

《B年》
 46 神の注がれる目は
【解説】
 その詩編の18節から答唱句が取られている、詩編33は、創造主、救い主である神をたたえる賛美の詩編です。6
節の「星座」(ヘブライ語の原文では「軍勢」)は、天にいる神の軍隊のことで、神の栄光を示し、その命令を実行する
ものです。6節には、「神(原文では「主」)」の他に、「ことば」「いぶき」という語句があることから、教父たちは、「こと
ば」=神のことばであるキリスト(ヨハネ1:1)、「いぶき」=聖霊、と考え、この詩編には三位一体の秘義が隠されて
いると考えました。
 答唱句は8小節と比較的長いものです。前半は「神」と言うことばが三回出てくることや、神のやさしいまなざし=
「目」を強調するために、旋律は高い音が中心となっています。特に、「目」は最高音のD(レ)の二分音符で歌われ
ます。二回出てくる八分休符は、次の「神」をアルシスとして生かすためのものですが、バスは八分休符ではなく自
分音符で歌われ、どちらも精神を持続させながら緊張感を保ちます。
 後半の「希望を」では、「きぼう」で旋律とバスの音程が2オクターブ+3度開き、バスのオクターヴの跳躍で、ことば
が強調されています。
 詩編唱はドミナント(属音)から始まり、同じ音で終止し、下一音(Fis=ファ♯)以外はすべて上方音というところは、
グレゴリオ聖歌の手法が生かされています。答唱句、詩編唱ともに、最後は順次進行で下降し、落ち着いて終止し
ています。
【祈りの注意】
 解説に書いたように、答唱句は8小節と比較的長いので、全体に、緊張感を持って歌う必要があります。とは言え、
早く歌う必要もないのですが、間延びすることのないようにしましょう。そのためには、まず、冒頭の「神の」の「の」の
八分音符が遅れないように、言い換えれば「かみ」の四分音符が長すぎないように、と言うことです。最高音D(レ)が
用いられる「目」は、この詩編でも歌われるような、愛といつくしみに満ちた神のまなざし、十字架の上から、愛する弟
子と母に向けた、キリストのまなざしを表すように歌ってください。高い音なので、どうしても、音を強くぶつけてしまい
がち(「メー」)ですが、そのように歌うと、怒りと憤りに満ちた音になってしまいます。高い棚の上に瓶をそっと置くよう
な感じで、声を出すようにするとうまく歌えます。
 「ものに」は、アルトが係留を用いているので、やや、rit. しますが、これは、分かるか分からないか程度のもので
す。決して、「あ、リタルダントしたな」と思わせないようにしましょう。後半に入ったら、すぐに、元のテンポに戻しま
す。最後の「希望を」は、少し、テヌートして「希望」をしっかりとこころに刻みましょう。
 最後は、rit. することはもちろんですが、やや、dim. もすると、安心して答唱句の祈りのことばを終わらせることが
できるでしょう。
 答唱句のテンポは四分音符=88くらいですが、冒頭は、これよりやや早めのほうがよいかもしれません。
 詩編唱は第一朗読の申命記で語られたことを受けて、天地を創造された神、また、イスラエル=神の民の救い主
である神をたたえて歌います。また、全体では、解説でも述べたように、三位一体の秘義が預言されています。
 福音で語られる「父と子と聖霊のみ名によって」は、ミサの冒頭でも使われることばです。これは、わたしたち=教
会が「父と子と聖霊のみ名によって、洗礼を授け」(マタイ22:19)られた者の集まりであることを示しています。わた
したちは、ミサのたびごとに、三位一体の秘義を信仰告白していることを、覚えておきたいものです。
【オルガン】
 答唱句は、どちらかと言うと、やや、明るいストップを用いたいものです。弱いものなら、プリンチパル系の8’を入れ
たり、人数によってはフルート系で2’を入れてもいいかと思いますが、あくまでも答唱詩編なので、派手なものは避
けるようにしましょう。ただ単に、だらだらと弾いていると、それは、いつの間にか会衆にも伝わってゆくものです。前
奏には、特に、心配りをしましょう。

《C年》
 48 神の名は
答唱句はA年と同じものなので、共通する部分はA年を参照してください。以下はC年に固有の部分のみです。
【解説】
 答唱句もこの詩編から取られている詩編8は、賛美の詩編です。冒頭=2節abと終わりの10節は同じ文章になっ
ています。これらにはさまれるようにして、前半=2節c~5節では、天における神の栄光と人間のはかなさが歌われ
ます。後半=6節~9節では、その人間が、神の似姿(創世記1:27)として創造されたきわめてよいものであり、ご
自分の変わりに被造物をおさめるように定められた事を述べています。
 詩編唱の2節で「神の使い」と訳されたことばは、ヘブライ語の底本では「エロヒーム」すなわち、「神」をさす一般的
なことばですが、ギリシャ語訳(七十人訳)やラテン語訳(ヴルガタ訳)では「天使たち」と解釈されています。
 ところで、人間が被造物を支配するとはどういうことでしょうか?よく、現代における自然破壊のもとは、キリスト教だ
という、誤った考えかたがされることがあります。確かに、一時期のヨーロッパでは、キリスト教とそれに相対する人
間中心主義の結果として、人間は自然を思うままに変えることができるという考えが広まったことは事実です。その
意味では、キリスト教にもその責任があることは否めないかもしれません。
 しかし、この詩編やこの詩編のもととなった、創世記の記述から考えると、人間が自然界を治めるのは、神の似姿
として創造された故のことであり、それは、歴史の完成に向かって歩む被造物を、創造者である神が望まれる姿に導
いてゆくことを意味しているのです。ですから、人間が自然界を治めるときにもっとも大切なことは、人間が思うように
自然界を変えることではなく、神がどのように被造物をキリストの救いに預からせようとしているかを考えて、歴史の
完成に向かって、歩ませることなのです。
 キリスト教もユダヤ教も中心になるのは神であり、人間は、その神のみ旨を行って、被造物を導くのであり、決し
て、自分たちの意のままに変えてゆくことは赦されていないのです。
【祈りの注意】
 第一朗読で読まれる、箴言で言われる「神の知恵」とは、キリストに他なりません。神の知恵=キリストは、天地創
造の時から神とともにおられました。その、キリストに結ばれたものは、「共に楽を奏し、共に楽しむ」(箴言8:31)よ
うになるのです。詩編唱は、天地創造の昔から歴史の完成(聖霊の派遣)までを黙想するような、壮大で深い祈りと
してください。




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